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クラスターとなった和太鼓集団 後にできた原点回帰の丘 - 朝日新聞デジタル

 時折、小雪も舞い散る気温零下の世界。凜(りん)とした空気が張り詰める中、腹にズシンと響く太鼓の音が、三味線や琴の音と重なり、遥(はる)か彼方(かなた)の山脈(やまなみ)にぶつかってこだました。

 阿蘇くじゅう国立公園内の大分県竹田市。同市を拠点に、世界的に活躍する和太鼓集団「DRUM TAO」の男女16人が、ファッションデザイナー・コシノジュンコさんがデザインした衣装を身にまとい、勇壮に、あでやかに演奏した。

〈DRUM TAO=ドラム・タオ〉 1993年、愛知県小牧市を拠点に7人で結成。24時間練習できる環境を求め、95年に大分県竹田市に拠点を移す。2004年に世界最大級の芸術祭「エディンバラ・フェスティバル・フリンジ」で25日間、全公演完売を達成。

 「TAOの丘」と名付けられた舞台は、2020年9月にオープンしたばかりの野外ステージだ。12月中旬、平日にもかかわらず訪れた約100人のファンは、検温を済ませると、間隔を十分に取って座った。

 「TAOの丘は、5年ほど前から計画されていたが、結果として救世主になった」。演出家でTAO代表の藤高(ふじたか)郁夫さん(61)はしみじみと語った。

 メンバーは約50人。竹田市の「TAOの里」で共同生活を送る。演奏に一体感を出すため、家族のように暮らすのだという。

 20年4月、新型コロナウイルスの感染拡大が、その「家族」を襲った。発熱したメンバーが、検査の結果、陽性となった。その後、計7人のメンバーの感染がわかり、クラスター(感染者集団)となった。

閉ざされた公演の機会

 米国での公演から帰国したメンバーもいて、はっきりした感染経路は分からない。事務所の電話は鳴り続けた。「子どもに感染したらどうするんだ」「大分の恥だ」。苦情の声がやまなかった。

 感染したメンバーは入院し、隔離された。残されたメンバーも約2カ月、医師や保健所からの指導で、汗をかく練習はできなくなった。これまで一緒だった食事も時間をずらすようにした。もちろん国内、海外公演はすべて延期・中止に。東京五輪・パラリンピックを見据えて始まった東京での常設公演「万華響(まんげきょう)」も開催できなくなった。

 TAOは1千人規模の客席を備えるホールでの公演を中心にしてきた。日本古来の太鼓の演奏に、一流の音響や照明を加えることでエンターテインメント化した。それが世界で受け入れられた要因だった。26カ国で演奏し、観客動員数は800万人を超える。

 そんなTAOの芸術の根幹をなす、世界中のホールをコロナが閉鎖に追いやった。結成から27年。これまでやってきたすべてができなくなった――。

 「ずっと走り続けてきたTAOのあり方をじっくり考える機会になった」。藤高さんは振り返る。そのタイミングでオープンしたのがTAOの丘だった。

 芝生席も含め約800席を備えるステージの周りには、壮大な景色が広がる。野太い太鼓の鼓動が景色と合わさり、観客の心を揺さぶる。太鼓演奏は元来、屋外で演奏することが多かった。「ある意味、原点回帰です」と藤高さんは話す。

避けていたライブ配信、背中押したファンへの思い

 「野外」とは反対の領域にも挑み始めた。

 体で鼓動を感じてもらうことに…

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