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高田賢三氏を悼むファッション業界の声 パリも悲嘆に暮れる - WWD JAPAN.com

 「ケンゾー(KENZO)」の創業者でもあるファッションデザイナーの高田賢三氏が4日、新型コロナウイルスの合併症により死去した。81歳だった。


 1965年に渡仏し、「ケンゾー」の前身となる「ジャングル・ジャップ(JUNGLE JAP)」を立ち上げた同氏は、70年に初のコレクションを発表。その鮮やかな色彩と明るい作風で、パリのファッション業界に旋風を巻き起こした。93年にはLVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON以下、LVMH)にブランドを売却し、99年に同ブランドのデザイナーを退任。2016年には、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章。20年1月にはラグジュアリーホームウエア&ライフスタイルブランド「K3」を立ち上げた。またフレグランスの世界でも大きな功績を上げている。


 パリでは現在、2021年春夏コレクションを披露するパリ・ファッション・ウイークが開催されているが、高田氏の死去を受けて多くのデザイナーや関係者が声明を発表している。その一部をここに紹介する。

・ベルナール・アルノー(Bernard Arnault)LVMH会長兼最高経営責任者(CEO)
「高田賢三氏は、1970年代からファッションに軽やかで詩的なタッチと自由な精神をもたらし、多くのデザイナーにインスピレーションを与えた。またそのいつまでもフレッシュで伸びやかな感性により、フレグランスの世界にも大きなインパクトを残している。彼が創業した『ケンゾー』は、現在でも彼の世界観に基づいて作品を発表している。彼が亡くなり、とても悲しく思う。ご家族、ご友人の方々に心からお悔やみを申し上げる」

・シドニー・トレダノ(Sidney Toledano)LVMHファッショングループ(LVMH FASHION GROUP)会長兼CEO
「高田賢三氏が70年代にブランドを立ち上げた当初から、私は彼のファンだった。本当に素晴らしいデザイナーで、素晴らしい人物だった。とても悲しい。彼は『ケンゾー』のチームをずっとサポートしてくれて、2月には現在同ブランドを率いているフェリペ・オリヴェイラ・バティスタ(Felipe Oliveira Baptista)新クリエイティブ・ディレクターによる初のショーも見に来てくれた」

・ラルフ・トレダノ(Ralph Toledano)=フランスオートクチュール・プレタポルテ連合会(Federation de la Haute Couture et de la Mode)会長
「独創的なカットや多様な文化からのインスピレーション、エキゾチックなプリントで、賢三は紛れもなく東洋と西洋の融合というファッションの新たなページを記すことに貢献した」

・フェリペ・オリヴェイラ・バティスタ「ケンゾー」新クリエイティブ・ディレクター
「高田賢三氏の素晴らしいエネルギー、優しさ、そして才能は人々に大きな影響を与えた。同志である彼の魂は永遠に生き続けるだろう。私の師である彼のご冥福をお祈りする」

・シルヴィ・コリン(Sylvie Colin)=ケンゾーCEO
「半世紀にわたり、高田氏はファッション業界の象徴的な存在だった。彼は常にクリエイティビティーにあふれ、鮮やかな色彩を世界にもたらした。その楽天的な性格や人生を楽しむことへの情熱、寛容な心はこれからも当メゾンの柱であり続ける。彼を失ったことは本当に寂しく、これからもずっと忘れることはないだろう」

・ジャンポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)=デザイナー
「賢三はフランスに居を構えた初めての日本人デザイナーの一人として60年代からこの地で暮らし、ファッションに新鮮な息吹をもたらした。時代の空気にマッチした、自由で喜びに満ちたポジティブな精神の持ち主で、東洋と西洋の文化を融合した。彼の革新的なファッションショーはパーティーのようだった。それまでショーといえばクチュールのモデルばかりだったが、『ケンゾー』のショーでは雑誌モデルがランウェイを闊歩した。彼に深い敬意を抱いている」

・フランソワ・アンリ・ピノー(Francois Henri Pinault)=ケリング(KERING)会長兼CEO
「高田氏はパリを“ファッションの都”たらしめた、クリエイティブな精神を持つデザイナーの一人だ。彼の作品はさまざまな文化が融合しており、クリエイティビティーと喜びにあふれ、度量が深くて、まさに彼そのものだった」

・イネス・ド・ラ・フレサンジュ(Ines de la Fressange)=モデル
「高田氏はさまざまなことの先駆者で、素晴らしいデザイナーであり、素晴らしい人だった。私が初めてランウェイを歩いたのは『ケンゾー』のショー。私はとてもシャイで変わったモデルだと思われていたけれど、彼もシャイな人だったからか、私をショーのモデルに起用してくれた。70年代の終わりごろはもう誰もがオートクチュールに飽きていて、刺激的でグラマラスな『ケンゾー』のショーを一目見たいという人たちの間で争いが起きるほどの人気だった。当時、ショーにたくさんのモデルを登場させたのは彼が初めてだったし、セレブリティーをモデルとして使ったのも彼が初めてだった。彼がいなくなって本当に悲しいし、ファッション業界全体が悲嘆に暮れている」

・ジャンバティスタ・ヴァリ(Giambattista Valli)「ジャンバティスタ ヴァリ」デザイナー
「私は20年ほど前にパリに来たのだが、高田氏は最初に出来た友人の一人だ。彼とはプーケットやタイ、モロッコなど、さまざまな場所を一緒に旅をした。彼は“生きる喜び”を体現したような人で、そのデザインと同様にエネルギーに満ちあふれ、ポジティブで寛容な人だった。また幅広い趣味と好奇心を持ち、瞑想をしたり絵を描いたりする一方で、ベリーダンスや日本料理のレッスンを受けていたりもした。私が知る中で、彼は最も若々しい心を持つ人だった」

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